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長崎地方裁判所島原支部 昭和41年(わ)411号 判決 1967年1月28日

被告人 久保田行雄

主文

被告人を懲役四月および罰金三、〇〇〇円に処する。右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

未決勾留日数のうち、三〇日を右懲役刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、長崎県南高来郡愛野町甲四、五〇四番地の二所在の合資会社小無田運送に雇われ、大型貨物自動車の運転助手として貨物の長距離輸送に従事していたものであるが、

第一、昭和四一年六月一〇日午前一〇時二〇分頃、大阪府公安委員会が、道路標識によつて午前九時から午後七時まで大型自動車の通行を禁止した場所である大阪市福島区上福島中三丁目一八番地先道路において、前方の道路標識の表示に注意し、大型自動車の通行が禁止された場所でないことを確認して運転すべき注意義務があるのに、これを怠り、同所が前記通行禁止の場所であることに気ずかないで、大型貨物自動車(長崎一う八三四号)を運転通行し、

第二、公安委員会の運転免許を受けないで

一、昭和四一年六月一〇日午前一〇時二〇分頃、前記大型自動車の通行を禁止した場所の西側入口である大阪市福島区亀甲町交差点手前から同区上福島中三丁目一八番地先附近まで、大型貨物自動車(長崎一う八三四号)を運転し、

二、同年一〇月五日午前一時二〇分頃、広島県福山市大門町野々浜八ブロツクの一広島県警察交通機動巡ら隊福山分駐所前附近道路において、大型貨物自動車(長崎一う一〇九二号)を運転し

たものである。

(証拠の標目)<省略>

(再犯となる前科)

被告人は、(一)昭和三八年五月二日、長崎地方裁判所島原支部において、詐欺罪により、懲役六月に処せられ、(二)同三七年三月二二日島原簡易裁判所において、横領罪により、懲役一〇月、三年間執行猶予に処せられ、その猶予の期間中、更に罪を犯して(一)の裁判を受けたことにより、同三八年五月三〇日、諫早簡易裁判所において、執行猶予の言渡を取消され、(一)の刑は、同三八年一〇月一七日に、(二)の刑は、(一)の刑に引続いて同三九年八月一七日にそれぞれその執行を受け終つたものであるが、以上の事実は、被告人の当公判廷における供述および検察事務官作成の前科調書によつて認める。

(法令の適用)

判示第一の所為 道路交通法第一一九条第二項・第一項第一号・第七条第一項・第九条第二項・同法施行令第七条・大阪府公安委員会昭和三五年告示第一〇号・罰金等臨時措置法第二条。

判示第二の各所為 各道路交通法第一一八条第一項第一号・第六四条・罰金等臨時措置法第二条(各懲役刑選択)。

再犯による刑の加重 判示第二の各罪につき、各刑法第五六条第一項・第五七条。

判示各罪の関係 刑法第四五条前段。

併合罪による刑の加重 判示第二の各罪につき、刑法第四七条本文・第一〇条(犯情が重いと認める判示第二の二の罪の刑に加重)。

罰金刑の併科 判示第一の罪の関係で、刑法第四八条第一項本文。

換刑処分 罰金刑につき、刑法第一八条。

未決勾留日数の算入 懲役刑につき、刑法第二一条。

訴訟費用 刑事訴訟法第一八一条第一項但書。

(未決勾留日数の本刑算入に対する判断)

当裁判所は、刑事訴訟法第三三九条第一項第一号による公訴棄却の決定をした事件(昭和四一年(わ)第三七号道路交通法違反被告事件)についてなされた勾留の一部を、本件の懲役刑に算入したので、その理由を説明する。

一、本件の審理経過と被告人の勾留関係

被告人に対する昭和四一年(わ)第三七号被告事件(以下、三七号事件という。――のちの昭和四二年(わ)第一号被告事件と同一公訴事実で、判示第一、第二の一の事実にあたる。)は、被告人在宅のまま、昭和四一年一〇月一一日に公訴が提起され、当裁判所は同年一一月一八日を第一回公判期日と定めたが、被告人が逃亡し同期日に出頭しなかつたため、公判期日を変更し、被告人の所在を調査確認のうえ、同年一二月一六日に勾引状を発布し、同月二〇日に勾引状を執行すると共に、刑事訴訟規則第一八七条第二項に基き、島原簡易裁判所の裁判官に対して、第一回公判期日前の勾留に関する処分を請求し、同請求を受けた右簡易裁判所裁判官上野茂は、同月二〇日、三七号事件につき、被告人が逃亡すると疑うに足りる相当な理由があるとして勾留状を発布して被告人を勾留した。

そして、同日、検察官は、昭和四一年(わ)第四一号被告事件(以下、四一号事件という。――判示第二の二の事実)の公訴を提起すると共に、三七号事件と四一号事件の併合審理を求めた。

そこで、当裁判所は、公判における併合審理決定を予定して、両事件の公判期日をいずれも昭和四一年一二月二六日午前一〇時と定め、同期日に、まず三七号事件の公判を開いたところ、被告人および弁護人から、刑事訴訟法第三三九条第一項第一号による公訴棄却の決定を求める申立がなされたため、当裁判所は、その点に関する証拠調をまつたうえ、併合審理を考慮することとし、その点の証拠調の決定をするにとどめ、四一号事件との併合審理を見合せ、一方、四一号事件についての審理は、被告人および弁護人の被告事件に対する陳述までの手続にとどめ、いずれも、次回公判期日を昭和四二年一月一三日午前一一時と定めて、審理を続行することとした。そして、右続行期日に、まず三七号事件の訴訟条件に関する証拠調を施行した結果、同事件の起訴状謄本が法定の期間内に被告人に対して送達されていないことが判明し、公訴棄却の決定をすべきこととなつたため、四一号事件との併合審理をすることなく三七号事件の審理を打切り、四一号事件について、別個に証拠調を施行したうえ、同日、同事件につき、被告人が逃亡すると疑うに足りる相当な理由があるものと認め、あらたに勾留状を発布して被告人を勾留し、同月一六日、三七号事件につき、刑事訴訟法第三三九条第一項第一号による公訴棄却の決定をした。

その後、検察官は、右公訴棄却決定の確定をまつて、昭和四二年一月二〇日、三七号事件と同一公訴事実である昭和四二年(わ)第一号被告事件(以下、一号事件という。――判示第一、第二の一の事実)の公訴を提起し、四一号事件との併合審理を求めた。

そこで、当裁判所は、昭和四二年一月二七日午後一時、四一号事件と一号事件の公判を開き、四一号事件に一号事件を併合して審理する旨の決定をしたうえ、両事件の併合審理をとげ、同日弁論を終結し、判決宣告期日を翌二八日と定めた。

二、判断

以上の経過に鑑みると、三七号事件と一号事件とは、別個の審理手続が行なわれ、従つて、形式的には、三七号事件の勾留は、一号事件の審理にあたつての被告人の身柄関係とは別個のものといわなければならないけれども、三七号事件は、たまたま、訴訟条件の不備により公訴棄却の決定がなされたものであり、その確定をまつて公訴が提起された一号事件とは公訴事実を同一にし、これを実質的に観察するときは、三七号事件の勾留は、一号事件についての勾留と解してよく、また、三七号事件と四一号事件は併合審理に至らないまま終つたものではあるが、両事件は、併合審理を予定していたものであり、三七号事件の勾留は、四一号事件につき昭和四二年一月一三日に勾留状が発布執行されるまでの間、四一号事件の審理に利用され、その効果は、被告人の身柄に関し、現実に四一号事件に及んでいるものと認められ、更に、四一号事件と一号事件は、併合審理がなされ、四一号事件の勾留と実質的には一号事件の勾留と解される三七号事件の勾留とが、相互に、他の事件につき利用関係にたち、両勾留は、被告人の身柄に関し、相互に、他の事件に対して現実にその効果を及ぼしたものと認められる。

そこで、未決勾留日数の本刑算入を認める制度が、衡平の観念に出発するものであることに鑑み、これを全体的に観察するならば、三七号事件の勾留は、四一号事件および一号事件に対する勾留と同視すべきものというべきであり、四一号事件および一号事件の本刑に対して算入の対象となる未決勾留と解するのが相当である。

従つて、当裁判所は、被告人に対し、四一号事件について勾留した昭和四二年一月一三日から、本件判決宣告の日の前日である同月二七日までの未決勾留日数一五日のほか、公訴棄却の決定をした三七号事件について勾留した昭和四一年一二月二〇日から、四一号事件についての勾留が始つた日の前日である昭和四二年一月一二日までの未決勾留日数二四日も、本件懲役刑に対して算入の対象となる未決勾留日数と解し、以上合計三九日の未決勾留日数のうち、三〇日を本件懲役刑に算入することとした次第である。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 太田浩)

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